石尾山弘法寺縁起

石尾山弘法寺縁起

石尾山弘法寺縁起

石尾山は槇尾山(西国第四番)及び松尾寺(豊臣秀頼再建)と共に「泉州の三尾」と呼ばれた古刹である。

延暦の頃、弘法大師が槇尾山にお登りになった時、この地に立ち寄って、坐禅観法の修行道場として開かれた。その後、淳和天皇の弘仁十三年にこの地の豪族、伏屋長者が一寺を建てて大日如来を本尊としてまつり、地蔵菩薩を脇仏とした。大師草創の故をもって一般に『石尾のお大師さん』と呼ばれ、弘法寺の名もそれに由来するものと思われる。

また脇仏の地蔵菩薩は福徳地蔵として庶民に親しまれてきたという。事実、福徳円満、除災招福、五穀豊穣のご利益があったらしい。この町が万町と呼ばれるようになったのも、このお地蔵さんのお陰で万金を持つ長者が沢山この地に住んでいたところから名づけられたそうだ。
裏山には、泉州で最も古いミニ四国八十八か所霊場があり、一巡するのに二時間半を要したが、近年配置換えして十数分でお参りできるようにされた。時間に追われている現代人へのサービスの一つであろう。

石尾山とは山の中に獣の尻尾の形をした大石が埋まっていたからだと言われる。
(弘法寺縁起の石碑より引用)